介護施設で、介護拒否に日々悩んでいます。
その入居者様は、ご夫婦で入居されて居られ、3年前に、お母さんが交通事故に遭い、立位困難になられ、福島県より息子さん夫婦がお住まいの大阪にある当施設に御入居されました。
御入居当初は、あまり発語はなく、スタッフの声掛けに対して無気力なご様子だったらしいのですが、最近は、元気になられ、顔の表情、発語がかなり出てきたと聞いて居ります。
施設での生活は、食事時間、入浴時以外はベットに横になって居られる事が多く、食事も、御入居当初は、食堂にて一部介助にて食されて居られましたが、食堂では周りの入居者様等に気が散って、食事拒否をされる事が多く、お父さんの意向で現在は、居室にてお父さんの一部介助の元、食事をされて居られます。
生活の拠点は、ベットがある部屋と、食事をされる部屋、の行き来が主で、レクリエーション等にはほとんど参加されず、食事中にテレビや、おやつを食べる事が生活の上での楽しみとなって居られるご様子です。
お父さんの愛情が深く、嫌がる事はなるべく避け、何でも言うようにさせたい、という感じが伺えます。
初めは、人見知りがある方だと聞いていたので、コミュニケーションを沢山図って顔を覚えて頂こうと取り組んでいたのですが、3日に1回程口をきいて頂ける状態で、それ以外は、神妙な面持ちで無言の状態が続いて居り、介護に対して積極的ではないものの『ベットに移るので、肩に手を回して下さいね・・・』との声掛けにも、無言であまりよい表情を浮かべては居られませんでしたが、こちらが手を肩に持って行き、移乗させて頂くかたちをとっていました。
最近は『もう、いいからぁ~』とスタッフの体を押しのける動作が出てきました。
昔から居られるスタッフに対しては、穏やかな面持ちで普通に会話をされるご様子があり、ショックを覚えました。
お母さんと関わる時間と言えば、移乗の際、パット交換、食事の配膳、コミュニケーションをとる為の訪室・・・全て、私一人で対応していたので、他のスタッフの対応時にどのようなご様子なのか分からず、新しいスタッフからは、拒否がある等の言葉を多々聞いています。
どのようにすれば、心を開いて下さるのか・・・毎日、そればかり考えてしまいます。
何か良い助言があればお願い致します。
現在、介護業界をめぐる問題点を教えて下さい。介護に従事する人の4人に一人が辞めるとか、賃金が安い、フィリピンからの受け入れのこととか。宜しくお願いします。
http://q.hatena.ne.jp/1173821178
【大型犬を介護している飼い主】の方のブログ・日記を探しています。
ご存知の方教えてください。
http://q.hatena.ne.jp/1206193557
某病院前にデイサービスセンターを立ち上げる予定なのですが、今後の展開として、介護付き旅行を提案したいと思っています。お年寄り、少し体の不自由な方でも安心して宿泊できる温泉旅館、ホテルを探しています。旅行先は何処でもかまいません。介護者を対象とした旅館がどこにあるのか検索してください。
http://q.hatena.ne.jp/1077524687
高齢化が進んでいるのに介護職員が増えないこれはこのままいくと、高齢者の孤独死の倍増や、介護福祉そのものが崩壊してしまうと思うのですが、他にも問題はありますか><?
意見文を書くのでなるべく具体的に教えてください!それから、それを解決するためにはどうしたらいいですか??
ネットで調べましたが、自分で調べた資料だけでは意見文が書けないので、よろしくお願いします!
私がいつも感じていることを書かせていただきます。
こんな考えもあるのだとくらいに思っていただければ幸いです。
基本的に、家族が大家族から小家族になり、老人夫婦だけの家族が増えてきたことが根本的な原因でしょう。
そのために介護福祉が必要になった。
そこで介護制度を始めたが、介護をしようとする人が足りない。
さてどうしましょう?
というところが現在の状況ではないでしょうか。
先進国は裕福になったがために個人の自由に対する欲求が促進され、介護における労働の苦痛をお金で解決しようとし、日本のように経済が破綻してしまうと、介護士を優遇する財源が足りないので介護士に負担が集中する。
そのために介護士をしようとする人が足りなくなってしまった。
この現象は「文明に対する依存症」の一つではないでしょうか?
車、テレビ、ゲーム、お金、知識、娯楽等々、麻薬やお酒ではないけれども我々はジワジワと本来はそれほどまでして必要でもないものがなくては我慢が出来ない人間になってしまった。
そういう人ばかり集まった社会になってしまったということに根本的な問題があると言えませんか?
「やや貧困な国」へ行かれると、そこに住む人たちがとても生き生きとして暮らし、貧しさの中にも幸福感豊かに暮らしている光景を目にすると思います。
「行過ぎた先進」より「節度ある人間的成長」のある社会が今求められているのではないかと思うのです。